夜の海に立ち…

思いついた事をとりあえず書いてみる。

「シュピーゲル・シリーズ」は果たしてライトノベルだったのか?

2018年3月20日冲方丁「マルドゥック・アノニマス」の3巻が発売された。1巻から2巻の間に比べて随分と待った。2巻を読んだ時点で、今までと違って3巻で終わらないだろうと思っていたが、案の定3巻で終わらなかった。

 

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冲方丁氏の作品で他に好きな作品に「シュピーゲル・シリーズ」がある。売り文句が「冲方丁最後のライトノベル」なのだが、「これって本当にラノベだったのか?」と疑ってしまう作品である。

 

シュピーゲル・シリーズは戦う女の子達が主役でキャラクターデザインは可愛く、戦闘フォームは露出多めで表面上はラノベらしさを醸し出している。しかし、やたら複雑で伏線を張りまくったストーリー展開、重いヒロイン達の生い立ちや子供にも容赦の無い残酷な描写もあり、毎度読みながら「全然ライトじゃない」と思っていた。

 

 

ライトノベル。毎シーズン沢山作られるアニメの原作の多くがコレに属しており、書店では文芸書の単行本よりも棚に幅をきかせているのではないかとも思える本のジャンルである。

 

近年では普通の文芸書よりライトノベルっぽいがコミックコーナーではなく文芸書のコーナーに置いてある事が多いライト文芸や新文芸という言い方が様々であやふやなジャンルまで出来ている。

 

では、改めて「ライトノベル」ってなんだろう?と考える。

 

ライトノベル」と十把一絡げにまとめても、現代の学校を舞台にしたラブコメもあれば魔法の世界のファンタジーもあるし、現実世界ではうだつの上がらない奴が異世界で無双するような話だってあるし、内訳は様々である。

 

あまりライトノベルに詳しいわけでもない自分が想像するライトノベルの定義とはこんな感じ。

 

  • 出版社がライトノベルを自称するレーベルから出版されている

  • 内容は小難しいことを考えずに読める

  • 表紙はイラストで挿絵も多め

 

要は「アニメっぽい表紙や挿絵で簡単に読めそうなラノベを自称する小説」がライトノベルではないかというもの。

 

ここでWikipediaでどんな定義をしているのか調べてみる。

ライトノベル - Wikipedia より

ライトノベルとその他の小説の境界は曖昧であり、はっきりとした定義を持たないことから、「ライトノベルの定義」についてさまざまな説がある。ライトノベルを発行しているレーベルから出ている、出版社がその旨宣言した作品、マンガ萌え絵イラストレーション、挿絵を多用し、登場人物のキャラクターイメージや世界観設定を予め固定化している、キャラクターを中心として作られている、青少年(あるいは若年層)を読者層に想定して執筆されている、作者が自称する、など、様々な定義が作られた[2][3][信頼性要検証]が、いずれも客観的な定義にはなっていない。

 自分の認識はそこまで遠くはなさそうだが、結局のところキッチリとした定義が作られるには至っていないということらしい。

 

 

ここで最近読んでいた本に参考になりそうな話が載っていた。

 

額賀澪「拝啓、本が売れません」

拝啓、本が売れません

拝啓、本が売れません

 

 

著者の額賀澪氏が自分の本を売って出版業界を生き残るためにどうしたらいいかを模索する作品で、その一環で数多くの大ヒットラノベ作品の編集を担当した三木一馬氏へのインタビューがあった。三木氏が語るライトノベルの話にピンとくるものがあった。

 

まずはライトノベルにおける「キャラクターの強さ」についてこう語っている。

 

ラノベと文芸の違いは、シリーズ化を前提としているかどうかが大きいと思います。シリーズとして何巻も小説を書くということは、そのキャラクターの物語をずっと読み続けていきたい…そんなキャラの強さが重要なんです」 

 

また、ライトノベルライトノベルの「デフォルトの読者」についてもこう語っている。

 

「そうなんですよ。彼の毎日は、めちゃくちゃしんどいんです。周りは嫌な奴ばっかりでしょ?努力はぜーんぜん報われないし、悪は絶対に成敗されない」 

 「だからせめて、フィクションの中でくらい、苦労やピンチを乗り越えて勝利を掴みたいじゃないですか」

 

ジャンプの漫画だって「友情・努力・勝利」の三大原則のどれかは必ず含まれている事が求められるらしいし、苦労を乗り越えた勝利には大きな需要があるということか。

 

 

話を戻して、改めて「キャラの強さ」や「苦労やピンチを乗り越えて勝利を掴む」という観点でシュピーゲル・シリーズを振り返るとどうなるか。

 

(1)「キャラの強さ」という観点

シュピーゲル・シリーズの2人の主人公、鳳と涼月で考えてみる。

 

①鳳

・左目に海賊傷のある美人で、ですわ調の喋り方をする

・聡明で基本的に穏やかで優しい

・辛いもの大好き

・出動前のクイズをスルーされると銃を出したり、胸(巨乳ぶり)の話題をされると怒ったり、意外とおっかない

・決め台詞は「ご奉仕させて頂きますわよーっ!!」(機銃を撃ちながら)

 

②涼月

・硬質で鋭さのある美少女で姉御肌な言動が多い

・喫煙者

・小隊の残り2人はスタイルがいいので貧乳をやや気にしてる

・戦い方はとにかく前進、とにかく殴る脳筋っぽいところがある

脳筋な戦い方とは逆に頭が回る勉強家な面もあり、オフは受験勉強に励んでいる

・口癖は「なーんか世界とか救いてえー」

 

こうやってポイントを並べると2人ともかなりキャラが立ってる。

 

(2)「苦労やピンチ」という観点

主人公の鳳と涼月を筆頭に主要キャラは多くが身体の一部を失って機械化していたり、テロや事件で肉親を失うなど苦労人ばかり揃っている。

 

さらに敵は世界を股にかけてテロと戦争を振りまく強大な力を持っており、国の中枢にまで協力者がいたりするので物凄く厄介なことになっている。

 

一つの事件が解決しても敵に出し抜かれる事が度々あり、裏切り者が出たり味方が相手の手中に落ちたりピンチが多い。

 

(3)「勝利」という観点

 詳しくはネタバレになるが、最終的に超複雑に絡まったそれぞれの因縁と伏線をこれ以上ない見事なタイミングで解決し、勝利で締めくくっている。

 

 

以上のような観点で検証してみると、複雑で重厚な話かつ読みにくい文体であったが「シュピーゲル・シリーズ」は紛れもないライトノベルであったと言わざるを得ない。

 

いつか6クールくらいかけてアニメ化しないかと密かに期待している。