夜の海に立ち…

思いついた事をとりあえず書いてみる。

J.G.バラード「Kingdom Come」を読んでみた

2009年に亡くなったJ.G.バラードの最後の長編小説「Kingdom Come」は「千年紀の民」や「人生の奇跡」の巻末によると、東京創元社柳下毅一郎氏の翻訳で翻訳版を出す予定になっている。

しかし、「ハイ・ライズ」の映画化、没後10年の節目や「ハロー・アメリカ」の映画化発表(これもどうなったんだか…)など出版されそうなタイミングはいくつかあったが全然出てくる気配がない。

Kindleで原著を探してみたら思ったより安く売られていたので、軽いノリでとりあえず買ってみることにした。

Kingdom Come (P.S.) (English Edition)

Kingdom Come (P.S.) (English Edition)

 

しばらくはKindleで表紙を眺めるだけの存在となっていたが、他に読んでいた作品を片付けたのを機に重い腰を上げて読んでみることにした。

今まで殆ど洋書を読んだことがなかった自分が辞書やGoogle翻訳を使いながら読んでみて、大体の流れやキーになっていることを自分用のまとめとして残してみることにした。色々と読み間違いや勘違いが出てくると思うので先に謝っておきます。

 

☆イントロダクション
Kingdom Come:来世、天国、この世の終わり、世界の終末(英辞郎より) 

消費主義(Consumerism)とファシズムの関係を描いた作品。
ロンドン郊外のショッピングモールで起きた無差別乱射事件によって父親を亡くしたリチャードが事件の真相を追い、ロンドンの郊外に点在する新興都市の深淵に近づいていく。 

 

☆登場人物
リチャード・ピアソン(Richard Pearson)
本作品の主人公。42歳で広告企業のエグゼクティブを務めていた。ロンドン大学出身。
3週間前に父親のスチュアートが銃の乱射事件によって殺されている。
両親の離婚で母親のもとにいたリチャードは父親とはもっと親しくなりたかったものの叶わなかった。
妻はバンクーバー大学の現代史の学部で仕事をしている。バラードの作品の主人公らしく夫婦関係はうまくいっておらず離婚している。
 
スチュアート・ピアソン(Stuart Pearson)
リチャードの父親。ブリティッシュ・エアウェイズミドル・イースト航空に勤めていた元パイロット。
ブルックランズ・メトロセンターの銃乱射事件で死亡。享年75。
パイロット時代には2度のハイジャック事件を生き残っている。
リチャードがフラットで見つけた遺留品から暴力的なスポーツクラブの一員になってファシズムを信奉していている疑惑が浮かぶ。 
 
ジェフリー・フェアファックス(Geoffrey Fairfax)
スチュアートの弁護士。遺産相続を担当している。
元陸軍中佐で先祖代々の農場から駅近の広場という新世界へ進出してきた。
ショッピングモールを地域コミュニティや文化を破壊するこの星で最悪な場所と考えている。
前にクリスティの妻を援助したことがある。
 
ダンカン・クリスティ(Duncan Christie)
スチュアートを含む3人の死者と15人の負傷者を出したメトロセンター乱射事件の犯人として逮捕された。
25歳でブルックランズに住んでいる地元でも有名な社会不適合者。
本人は白人系だが妻は黒人系で娘がいる。 
 
メアリー・ファルコナー(Mary Falconer)
スチュアートの事件を担当する刑事部長(Sergeant)。
リチャードに対して何かメッセージや警鐘のような含みを持ったことを言う。ブルックランズの暴漢たちを見て見ぬふりしている。  
 
トム・キャラディン(Tom Carradine)
メトロセンターのPRマネージャー。
リチャードが見たところ若々しい姿と純粋な瞳はカルトのリクルーターを思わせるらしい。
スチュアートが銃撃された現場を案内した。
 
ニハル・クマル(Nihal Kumar)
スチュアートのフラットの近所に住む体格のいいアジア系男性。モトローラのエンジニアで妻は医者。
スチュアートとは少し近所付き合いはあったが、その周囲の人間には警戒していた。
 
デイビッド・クルーズ(David Cruise)
メトロセンターのケーブルテレビのプレゼンター。色んな番組に出てくる。
リチャードによるとハンサムだけど空虚な顔。親切な笑顔と同時に微かな敵意を感じる。ナチと未来の間にいるフォン・ブラウンを思わせる。 
 
ジュリア・グッドウィン(Julia Goodwin)
メトロセンター病院の医師。スチュアートの最期を看取っている。3人の目撃者の1人。
スチュアートと面識は無いらしいが、多忙にもかかわらず葬式に出ていたり事件について何かしら知っていることがあり、警告を与えようとしているのではないかとリチャードは考えている。
銃撃はクリスティがやったものではないとリチャードに話した。  
 
ウィリアム・サングスター(William Sungster)
ブルックランズ高校の教育主任。3人の目撃者の1人。
巨漢で実年齢より若く見える。爪を噛む癖がある。
勤めている学校は生徒が騒がしく好き放題やっていて、校舎には菓子の袋や空き缶やタバコにコンドームまで落ちているなど荒れている様子が伺える。
クリスティは元生徒で数学を教えていた。そしてクリスティが無実と信じている。
ショッピングモール、空港、高速道路の文化は新しい種類の地獄だと語り、消費主義こそが新たな大衆政治の形だと力説する。
 
トニー・マクステッド博士(Dr. Tony Maxted)
クリスティを担当した精神科医で、3人の目撃者の1人。
50代だがボクサーやナイトクラブの用心棒みたいにゴツい。
病院の屋上にあるペントハウスに住んでいる。他の2人の目撃者と同様にクリスティが暗殺をやり遂げるのは無理だと語る。
リチャードにM25やヒースロー空港周辺の都市の現況と消費主義の繋がりを説く。
 
☆キーワード
ここでは読み進めるために調べた用語を並べてみる。
重要なものから大して重要でないものまで玉石混交。
 
消費主義(Consumerism)
(1)大量の購入や消費を奨励する社会的な要求や経済政策
(2)消費者保護の運動
などいくつか意味があるが、この作品においては(1)が当てはまる。
 
グレーター・ロンドン(Greater London)
32のロンドン特別区シティ・オブ・ロンドンで構成される広い意味でのロンドン。 
 
インナー・ロンドン(Inner London)
グレーターロンドンの内側にある12の特別区から構成されるロンドンの中心地。
定義によって区画の数やシティ・オブ・ロンドンを含めるか否かが変わる。 
 
ブルックランズ(Brooklands)
ロンドン郊外のサリー州ウェイブリッジにある本作の舞台。グレーターロンドン周辺にある住宅・商業施設・オフィスが集まる新興都市の一つ。
スチュアートが住んでいた街で乱射事件が起きたメトロセンターはここにある。
近所づきあいが希薄で住人がムスリムが入ってくるのを拒否していたり、レイシズムナショナリズムの気配がある。
近くにあるサーキットの跡地は世界初の常設サーキットで、第二次大戦の時に接収されるまでレースやスピード記録の更新に使われていた。
 
M25
グレーターロンドンを囲う環状の高速道路。日本なら関東の外環自動車道あたりが近いのかも。
ロンドンと郊外の境界みたいな意味合いもある。
この道路沿いやヒースロー空港の周辺にブルックランズみたいな街がいくつも存在している。
 
セント・ジョージ(St. George)
キリスト教の聖人として伝説に残る聖ゲオルギウスに由来するイングランド国旗のセント・ジョージ・クロス(Saint George's Cross)を指す。
ブルックランズのあちこちにセント・ジョージの旗やペナントが飾られていて、住人や交通整理員からフーリガンまで様々な人間がこれのシャツを着ている。
このことから作品中ではナショナリストの象徴みたいに扱われている。
 
テムズヴァレータウン(Thames Valley town)
リチャードは成功した21世紀的な高級住宅地と語っている。
ブルックランズと同様に住宅と商業施設やオフィスが揃った街になっている。
 
ホルスト・ヴェッセルの歌(Horst Wessel song)
ヴェッセルはナチ党の突撃隊員で共産党員の銃撃で死んだことにより英雄化された人物。
ナチスの党歌「旗を高く掲げよ」はヴェッセルがナチスの機関紙に投稿した詩が取り入れられているため、「ヴェッセルの歌」とも呼ばれる。
 
プジャディスト(Poujadists)
ピエール・プジャード(フランスのポピュリスト政治家)の反議会主義的極右運動。
商工業者の税負担の不平等に対する不満から発生した反税運動から始まり、極右的な政治運動に発展した。
 
タビストック・クリニック(Tavistock Clinic)
ロンドン中心部のハムステッドにある精神科病院
 
オズワルド・モズレー(Oswald Mosley)
イギリスの政治家でファシスト同盟を率いた。
FIA会長マックス・モズレーの父親。
 
AAマップ(AA map , AA guide)
Automobile Association(イギリス自動車協会)が作成したロードマップ。
 
☆あらすじ
ストーリーは三部構成になっている。ここからはネタバレも含みます。 
 

・第一部
主人公のリチャードは広告企業のエグゼクティブを辞めて、妻との関係も上手くいっていなかった。

ちょうどその頃、両親の離婚以来ずっと疎遠だった父親のスチュアートがロンドン郊外のブルックランズにあるメトロセンターで発生した無差別乱射事件により死亡する。現地に赴くと、街からレイシズムや暴力の気配を感じると共に父親のフラットからもファシズムナショナリズムを信奉すると思わしき遺品が出てくる。

犯人として逮捕された社会不適合者のクリスティは証拠不十分で釈放された。リチャードは事件発生時にクリスティを目撃した3人の証人である医師のジュリア、教師のサングスター、精神科医のマクステッドと会話したことでロンドン郊外の新興都市に潜む消費主義と人々の暴力への渇望を見出し、ブルックランズに腰を据えて真相を明らかにしようと決意する。スチュアートの最期を看取ったジュリアからは警告めいた素振りを見せられるも次第に懇意になっていく。

乱射事件が解決しないまま、今度はメトロセンターで発生した爆弾テロにより大規模な暴動が発生。暴徒を指揮していたと思しきフェアファックスが爆死したこと、街のキーマンであるテレビプレゼンテーターのクルーズがサングスターとマクステッドの暴徒を操ろうとする試みから離反したのを見て、リチャードはクルーズに近づいていく。

 

・第二部
クルーズと手を組んだリチャードは元々の本業であった広告マンの手腕を活かしてクルーズの番組をプロデュースする。クルーズが番組で行ったアジテーションにより大規模な暴動が発生。隣人のクマルなどアジア人が襲われたり、メトロセンター・ドームが放火されるなど内乱に等しい状況に陥る。その頃、リチャードはスチュアートの手記を発見し、スチュアートは暴徒に賛同するふりをしながら密かに首謀者を探していたと知って安堵する。

さらにドームの火災現場でリポートしていたクルーズは狙撃されてしまう。混乱に乗じてPRマネージャーのキャラディンとその部下たちはメトロセンターの防衛を掲げて500人以上の人質を取ってドームを占拠し始めた。

リチャードは冷蔵庫や電子レンジを売るためのPRを作っていたはずと思っていたようだが、新しい世界やメトロセンターを中心とする共和国が始まったとも考えていた。サングスターにはファシストの国を作った、ファルコナーにはスポーツを隠れ蓑にした内乱、マクステッドには郊外のゲッベルスなど散々な言われ方をしている。

 

・第三部
キャラディン達が占拠したドームでの生活から始まる。最初は規律の取れた活動ができていたが、生活環境の悪化に伴い人質達は清掃などの労働を強いられ食料は厳格な配給制になるなど強制収容所のような有様になる。人質達の扱い方を考案するなどサングスターがキャラディン達のブレインになっていた。サングスターはリチャードに消費主義は一見無宗教に見えるが、宗教的本能の最後の避難所であると説いている。

クルーズが死んだことでマクステッドが乱射事件の真相をリチャードに伝える。事の始まりは6か月前で、その時からレイシズムや暴力が発生していた。退屈した人々が暴力的になることに対処するためにサングスター、マクステッド、フェアファックス、ファルコナー、レイトン警視そしてジュリアが共謀に加わっていた。共謀によって誘導されたクリスティが乱射を起こす。本来のターゲットは影響力の大きさから新しいファシズムのリーダーになり得るクルーズだったが、不運な間違いによってスチュアートが殺されてしまう。フェアファックスは自身のミスによって爆発に巻き込まれていた。クルーズを撃ったのはボスニア人の兄弟だと発表されていたが、実際にクルーズを撃ったのはクリスティだった。

収容所じみたキャラディン達の占拠はエントランスホールの大爆発によって終わる。キャラディン、サングスター、マクステッド、クリスティは消え、ブルックランズからレイシズムや暴力は引いていきアジア人たちが家々に帰っていった。しかし、リチャードはこの流れがヒースロー空港周辺などへ広がり、いつか休火山が活火山に変わるように再発すると確信して物語は終わる。

 

☆感想・書評
Kingdom Come」は無差別殺人事件を発端に主人公が無機質な都市の深淵に取り込まれる基本的な物語の流れから、前作「千年紀の民」を含む「病理社会の心理学」三部作の路線を継承した作品だと言える。

そこからさらに、郊外に広がる過激な暴力と人種差別、ファシズム、メトロセンターの人質たちの宗教観など新しい要素を取り入れたブルックランズは21世紀におけるバラードのランドスケープをより明確に示したものではないかと思う。

ビジネスパークで起きる無差別殺人、巨漢で爪を噛む癖がある影のプロデューサー、足を怪我した主人公、火をつけられたボルボ、失敗した革命など、バラードが意図したのかはわからないが「病理社会の心理学」三部作のオマージュが随所に現れているように見えた。

世界で人種差別と暴力の問題に再び火が付いた2020年代の始まりに似合う作品なのではないかと思う。翻訳されたバージョンを読めるようになる日が遠くない将来にやってきてほしい。