夜の海に立ち…

思いついた事をとりあえず書いてみる。

殺す、千年紀の民、ハーモニー

 施川ユウキの「バーナード嬢曰く。」を読んだことをきっかけに伊藤計劃の「虐殺器官」や「ハーモニー」を読み、これらの作品中で言及のあったJ・G・バラードジョージ・オーウェルの作品を読むことが多くなった。

 

 特にバラードについては虐殺器官では主人公のクラヴィス・シェパードが虐殺の首謀者として追いかけていたジョン・ポールが「太陽の帝国」や短編の「死亡した宇宙飛行士」など複数の作品ついて触れていて、ジョンのパーソナルな部分にも影響をもたらしているような描写があった。一方でハーモニーでは主人公の霧慧トァンの旧友にしてイデオローグある御冷ミァハがバラードについて下記のような言及をしたものの、何を読んでいたかは具体的に語ってはいない。

 

「未来は一言で『退屈』だ、未来は単に広大で従順な魂の郊外となるだろう。昔、バラードって人がそう言っていた。SF作家。そう、まさにここ。生府がみんなの命と健康をとても大事にするこの世界。わたしたちは昔の人が思い描いた未来に閉じ込められたのよ」

 

 このバラードの言葉はインタビューで語ったものが元であり、山形浩生氏の「J・G・バラード:欲望の磁場」にも載っている。単行本「コンクリート・アイランド」の巻末に収録されている他、インターネット上で公開されているPDFでも読むことができる。

 

 最近バラードの作品を読む機会が増えたこと、去年は伊藤計劃とバラードの没後10年という節目だったことや御冷ミァハは個人的にお気に入りのキャラクターなのもあって、バラードの著書に影響されていそうな彼女の思想や行動について自分の知る限りで思いついたことを整理してみたい。

 

 

(1)殺す

 1988年に刊行(原著)。パングボーン・ヴィレッジと呼ばれるハイテクでセキュアな高級住宅街で起きた住人の大量殺人と被害者の子女誘拐事件をドクター・グレヴィルがペイン刑事部長と共に紐解いていく。

 

・愛情への反抗

 「子どもたちが反抗したのは、<やさしさという独裁>に対してなんだ。子どもたちは愛情と保護の暴虐から自由になるために、殺人をおかしたんだ」

 

 「殺す」でドクター・グレヴィルは犯人である被害者の子供たちの動機をこう推測している。閉塞的な住宅街のハイテクなセキュリティと親の際限のない愛情によって真綿で絞め殺されるように抑圧された子供達が自由を求めて親殺しを行い姿を消していった。

 

  「ハーモニー」の世界において先進国は人々の健康を盾にテクノロジーをフル活用してプライバシーを死語に追いやった思いやりと優しさに閉じ込められた、巨大なパングボーン・ヴィレッジのようなものであった。グレヴィルが続けて語った「全体的に見れば正気で健全な生活の中で、狂気だけが唯一の自由だったのだ。」という言葉は優しさに満ちた世界を憎悪していた学生時代のミァハに通じるものを感じた。この辺はネットで他の人の書評を読んでいてもハーモニーとの関連性を書いていることが多いので、やはりみんな似たようなことを考えているのだと実感する。

 

・殺人に対する認識の軽さ

「だって世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは嫌でもボタンを押すことになるでしょ」

 

 「ハーモニー」でミァハが語った連続自殺事件の動機である。人類のハーモニクスというイデオロギーを叶える為、何千もの無関係な人々を死に追いやってハーモニープログラムを起動させる権限を持つ対立派閥が最後の一線を超えるように仕向けた。しかし、それだけの人間を殺したにも関わらず殺人という行為を目的を果たすためのステップのように軽く見ている節がある。

 

 「殺す」でグレヴィルは犯人の子供達は親殺しの重さについて「自分たちが光明に手をのばすためにはどうしても取り除かなければならない、最後の障害とみなしていたからではないだろうか」と推測しており、どちらも殺した相手に対する憎悪や執着など「この人達を殺さなければならない動機」が希薄な点が共通している。

 

 

(2)千年紀の民/ミレニアム・ピープル

 2003年に刊行(原著)。犯行予告のない空港爆破事件で前妻を亡くした精神科医デービッド・マーカムが犯人と動機を探るために社会に不満を持つ人々のデモ団体を渡り歩き、高級住宅街で中産階級の革命を起こそうとするグループに接触する。彼らと行動を共にしたことで、やがて爆破事件の真相へ辿り着いていく。

 

・目的のための無差別殺人

「政治家を殺せば、引き金をひかせた動機に縛られることになる。オズワルドとケネディセルビア人青年とオーストリア皇太子のように。しかしでたらめに人を殺せば、マクドナルドの店内でリボルバーを発射すれば - 宇宙はうしろに下がって固唾を吞む。もっといいのはでたらめに十五人殺すことだ」

 

 「千年紀の民」で中産階級の革命の主要人物であったリチャード・グールドは無意味な世界で意味を見出す為に独自のルールに基づいたゲームを展開して宇宙に挑んでいた。手段として常に社会に不安をもたらす手段を模索し、無意味な行為、とりわけ人々の想像の外にあるような犯罪を繰り返していた。そのなかで最も効果がある犯罪が無差別殺人である。

 

 ミァハのグループは目的の為にランダムに選んだ数千人の脳を弄って自殺に追い込み、さらにニュースに犯行声明を出して助かりたければ誰か一人殺せと全世界に脅しまでかけている。無差別殺人の社会的影響を理解して動機を伏せて無関係な対象を選んだことによって、本当に社会がめちゃくちゃになるレベルの混沌に叩き込むことができた。だから最終的に目的を果たすことができたと考えられる。

 

 犯行声明が本物であることを証明する為にニュースの生放送中にキャスターを殺したのも、グールドが「二流のテレビ司会者」を有名だが重要でない非実在の存在として躊躇いや罪悪感をあまり感じずに殺せたのと同様の理屈かもしれない。

 

・殺人に対する動機と理由づけ

「もし私が意図してきみを殺したならば、それはありふれた下品な犯罪だ。だがもしも偶然に、あるいはまったくなんの理由もなく、きみを殺したならば、きみの死は比類のない意味を帯びる。」

 

 無意味な世界で意味を求めるゲームを続けてきたグールドにとって、意図しない偶然によって特定の誰かを殺すというのは重大な意味をもたらすと語っている。

 

 上記の同時多発自殺事件ではトァンとミァハとの共通の友人である零下堂キアンが巻き込まれて死んでいる。キアンが対象に選ばれたのはランダムであったが、ミァハはキアンが死ぬ直前に電話をかけてキアンの死を正当化しようとするような言動をとっていた。

 

 これはグールドの言葉を借りれば「比類のない意味を帯びる殺人を下品な犯罪に格下げした」行為だったように見える。トァンがミァハの関与を確信する発端にもなったこの電話は、後から振り返れば孤高のカリスマとして描かれていたミァハの数少ない人間臭さを感じる場面だった。

 

 

★まとめ

 長々と考察みたいなことをしてみたが、「ハーモニー」はバラードの作家活動の後期から晩年に近い時期に作られた「殺す」から「コカイン・ナイト」「スーパー・カンヌ」「千年紀の民」のいわゆる「病理社会の心理学三部作」あたりの影響を大きく受けているように見えた。閉塞感のある社会や希望の見えない未来がパングボーン・ヴィレッジの申し子、御冷ミァハを目覚めさせたのかもしれない。

 

 余談だが「スーパー・カンヌ」で主人公の妻が開発に関わっていたネットワーク接続の在宅体調監視システムは「ハーモニー」にあったメディケアの元ネタの一つなのかもしれない。